自己評価が低い人は関心の輪に囚われている

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僕自身も余り自己評価が高いとは思っていない訳ですが、ふと思ったので(^_^;)

定点観測:関心の輪と影響の輪 - ksworks.org
自分の影響の輪に集中して、影響の輪が広がる様に働きかけることで、次第に自分の外にある状況:関心の輪に影響を及ぼすことができるようになる。 …

↑ 論旨は全然違うかもですが、以前この二つの輪について考えたときの記事を( ´ ▽ ` )ノ

 

極端に言ってしまえば「評価」を気にした時点で、それは「関心の輪」にあるということを忘れているのではないかなと。

 

自己評価とは

「評価」というのは、誰かが何かに対して評価 or 見積もりをする(evaluate)ということになります。

とすれば、自己評価というモノは、自分を客観視して、自分で自分を評価するという事に他なりません。

ここで「客観視」という視点がポイントになります。

 

客観視の罠

客観的に物事——特に自分がやった事——を評価しようとすると、そのときに何を考えていたかというようなメタ情報は、ともすれば主観的になってしまう要因になってしまうため、意識的に除外して考えることになります。

とすると、残るモノは単に「自分がやった結果・主観の伴わない経過」に対する評価をするということ。

ここには自分がコントロールすることの出来るモノは残っていない訳です(´・ω・`)

 

ということで、自分を「客観的に評価すること」は、実は「関心の輪を気にしている」ということになるのではないかなと(^_^;)

 

プラスとマイナス

反面、自己評価が高い場合、それはそれで「影響の輪」に向き合う結果を生むことになるとも考えています。

プラスの自己評価は次の行動に対するモチベーションに変換できるので( ´ ▽ ` )ノ

 

そして掲題の通り自己評価が低い場合、それは次の行動に対するモチベーションになるどころか、いつまでも後悔をし続けてしまうというような、次の行動を阻害する要因になりかねません(´・ω・`)

 

プラスはそのままに、マイナスなんざ知らん

では、それを「影響の輪」にフォーカスするためにどうすればよいか?

単純に自己評価が高くてモチベーションに繋がると思えたなら、それはそのままで良いのだと思うわけです。

逆に自己評価が低くて阻害要因になりかねないと思ったら——そこに気づいたのなら——それ以上そのことについては気にしない以外には取り得る行動は無いのではないかなと(^_^;)

単に「結果が悪かった」という事実があるだけで、それはもうどうしようもないのだから、気にするだけ無駄な訳です。

 

時には主観的になってみる

ここでは、客観的な視点よりも、あえて主観的な視点に立ち返るのも良いはず。

駄目だったのだから、自分に言い訳をしてみる訳です。自分なりに納得出来る言い訳が出来るのであれば(ソレが多少突飛な状態でも)、一端それはそれとして受け止めてしまって、次に生かすように対策を考えれば良いのではないかなぁとw

# なんかメンタル系の考え方っぽくなってきてそれはそれでアレと思うところもあるなぁ…

 

まとめ

一言で言うなら「自分が上がるならOK/自分が下がるならNG」ということにw

 

一般的に「客観的な立場」は良いとされ、「主観的な立場」は駄目とされるのに反論してみたかったわけですw

もちろん次に繋がらないで、いつまでもその自己評価に甘んじているのは誰が見ても駄目だということはわかるのですが…

何か既存の「常識」の様なモノに囚われてしまっている事で、自分の幅を狭めてしまう様な事も多々ある事なので、そういうところで、偶に思い返したい事だなぁと僕は思う訳なのです__ \ノ’∀ン ヒャッホウ


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