情熱をマネタイズできるのか?

たふん凄い難しい話なので、正直、僕も出来てなんていやしないのだけど...

これが出来たら一番嬉しいことだろう、というのは理解できているので考えてみる(゜¬゜)

情熱の対価

端的にマネタイズと言ってしまえば...

やはりそれはなんらかの対価として受け取るわけで、その「なんらか」を見出せないとお話にならない。

ここで、掲題の「情熱」そのものっていうのは、やはりそれだけで対価を受け取るに足るかというのは...そんな甘い現実なんてありはしない。

 

だから形になった情熱というのを見せられないと意味がないのだと思う(^_^;)

結局のところ、誰も損したいとは思って居ない。

何らかの形にして対価を支払う側を納得させる情報を見せないことには、やはり対価の支払いはすんなりといかない...

 

「経験」という形

例えば、これは「面白い」と思ったものがあったとして...

同じ様な値段がつくのであれば、「よりワクワクする物」に支払いたいと思うのが人間の心情だと思う。

 

であれば、ここで一つの「感覚」とか「体験」として「ワクワクする」という物に対して対価が支払われているのだと思う。

形にはなっていなくても、「経験」というカタチ(ちょっと矛盾する表現だけど)が存在しても良いのだろう。

 

対価は必ずしもマネタイズに直結しない

反対に、対価として支払われる物もお金になるとは限らない(^_^;)

逆に「経験」など、形にならないカタチで対価を支払われているものもあるのではないかなと...

 

その点を忘れていると、思っていた程の対価が得られないとか、思った以上に対価を支払うハメになってしまうということもある。

 

大切な事ってなんだろう

どちらかというと、先ほど上げた形にならないカタチの総量が多い方が、色々な意味で「良い経験」というもっと大きなカタチでお互いにフィードバックが帰る気がする。

マネタイズだけの観点で絞ってしまうと、なんとなく視野が狭まって、どうしてもそういう所を忘れてしまう気がする。

 

僕もそういうところが余り得意では無いのだけど、お金の話は生活に直結するところでもあるので、これからはもう少し考えて行かなきゃならないと思っているところなわけです(^_^;)

なんとなく思った事をダラダラと買いてみたけど、やっぱりちょっとまとまった物とは言い難いか...

 

どちらかというと、逆の立場で気になった事を纏めてみたわけですが、もっと考えるべき事は大量にある気はします...